The Last Live 〜最後の夜〜

1997.12.31(WED) 東京ドーム

いたって個人的ですが、おのれの誕生日前日に解散会見が行われ、
ものすご〜くヤサグレてしまったワタクシ、この年の下半期は
怒涛のようにインディーズバンドのライブに行きまくっておりました。

そんな中、友達から回ってきた署名運動にも参加して、ついに実現したXの最後のLive。
全国のあちこちでこのような運動が行われて、
私も必死で友達に呼びかけるべく電話かけまくって、
当時のPHS使用料金の請求が、
今も破られてないくらいのありえない高額に達してしまったのは
今となっては思い出…なのかな(^^;)。いや、せっかくなので思い出にしておこう(オイ)。

そして、何と言ってもこのLast Liveは大変でしたね。
何が大変って行く前と行った後が。
電話代も大変でしたけれども、結構ぎりぎりになってライブが決定し、
滑り込みでチケット申し込み、むちゃくちゃぎりぎりになってもチケットが届かず、
どーなっとんのじゃいとファンクラブに電話したら込み合ってなかなか通じないし、
やっと発送したらしいとわかっても手元に来ない限り不安で仕方がなかったし。

しかもこの時は友達と二人で福岡―東京間を、
青春18切符を使って鈍行で行ったのですよ。
よって鈍行での出発は12月30日なんですが、
私は小倉で友達と合流して小倉から始発で出発することになっていたため、
厳密に言うと私は29日の夜から博多を出なければなりませんでした。
この恐怖のスケジュールで、
友達の分も取っていたチケットが届いたのは12月28日だったと記憶しております。
何にしてもあと少し遅れていたら、
チケットと入れ違いで出発しなければならなかったところでした。いや〜あん時はマジで焦った。


一言に鈍行の旅といいますが、鈍行=普通列車はあまり長距離を走らないわけですから、
乗り継ぎに次ぐ乗り継ぎで、しかもその時間に一番近い、
自分たちに都合のいい電車をあらかじめ検討しておかなければなりません。
今でこそネットで検索できますけど、当時はJRの時刻表の本買ってきて
電話で必死で打ち合わせしながら計画したから、
おかげで今となっては時刻表見るのは多少お手の物ですよ、ええ。
あれってわからないで見てると本当にわけわかんないですから。

で、ちゃんと計画表を作って電車に乗り、一つでも間違えたら計画通りに東京には行けないんですね。
よってほとんど徹夜にも関わらず私は乗り換えの時間が気になりすぎて、
電車の中でロクに寝ることもできませんでした。
時計と車内アナウンスに目と耳を光らせた寝不足女(苦笑)は、
「次で降りるぞ!乗換えだ!」とか
「これは終点までだからゆっくりしよう」とか
「姫路は乗り換え時間が2分しかないから走るぞ!(本当にホームの端から端まで猛ダッシュしたので、姫路=ダッシュの思い出しかない)
っつって友達ひっぱってましたね。いや〜、いい思い出です。

しかもですね、小倉からの出発にも関わらず丸1日かけて着いたのは静岡県の沼津まで。
そこから先は次の日にならないと電車がありません。
へろへろになりつつ駅の構内で始発電車を待っていたら、
知らないにーちゃんがナンパしてきやがりました。
おいコラ鈍行で必死こいてここまで来て、
Last Liveへ向けて東京へ向かおうとしている、
Xなトランクに大荷物抱えた女二人に声をかけるなっつーの。
しかもなれなれしく肩に手はかけてくるわで、
頭に来たので寝不足に加えた不機嫌をそのままぶつけて追い返しました(閑話休題)。

日付が変わってやっと次の電車に乗り、東京に着いたのは31日の早朝です。
そのままドーム方面へ向かい、
潜伏先(謎)にて死んだように寝た後着替えてヘア&メイクしていざドームへ。
これまでにない大勢の人でごった返しておりました。
私はX加入当時の、Extasy Summitの時のHEATHやりました。
夏ぐらいにライダースジャケットと鋲を買って、あの鋲だらけジャケットを作り始めたのですが、
例によって作ってる間にXに解散されてしまい、泣きながら完成させました。
それはさておき、ライブの時は重たいし暑いし邪魔だったので脱いでましたけどね。
席は’96年の12月30日よりも(ステージから)遠かったと思いますが、
チケ取れただけでもありがたく思わねばなりません。
取れなかったという話も聞きましたし、
先ほど述べたようにチケに関しては何もかもがぎりぎりでいっぱいいっぱいで
切羽詰ってテンパって本当に困ったもんですが、仕方ないと言えば仕方ないですね…(ため息)。

この日はただ…もう泣くしかなかったですね。何もかもが最後なんだもの。
それでも「AMETHYST」のSEから「Rusty Nail」「WEEK END」で幕を開けたライブ。
とにかく悔いの残らないように暴れ、叫び、飛びました。
いや、いくら最後っつっても始まった以上は全力でぶつかりますともさ(加減ができないとも言う)
涙腺も遠慮ナシにしょっぱなから全開でしたよ(号泣)。
TOSHIさんの「会いたかったぜー!」とか「気合い入れて行けー!」とかいったおなじみのMCを聞くたびに、
今は誰が何と言おうとXのライブなんだと思わせてくれます。
「SCARS」ではHIDEさんとのツインヴォーカル(一応コーラスだけど私はこう思う)も堪能しつつ、
「DAHLIA」はひたすら暴れさせていただきました。
あと「DRAIN」ってアルバムではYOSHIKIさんが参加してないんですが、
確かYOSHIKIさんを休ませるための曲だと聞いたような気がします。
…いや、休んでいただかないと心配なんですってば。

なのに彼はドラムソロでこれでもかっつーくらい叩くんですよね。
「歩けなくなるまで叩いちゃう。歩いて帰れる(体力が残っている)自分がイヤだから」
って某雑誌のインタビューで見たときは脱帽でしたけどね。
そんだけ叩いておいてまともに歩けたら化け物です(オイ)。
しかも花道の真ん中に突如現れたドラムセット君、
回転しながら移動するんかキミは!って今なら思うわけですが、
当時は考える以前に「YOSHIKIー!」って叫んでばっかでした(ああ、やっぱり)。
あ、でも何でドラムセットの周りに噴水が?
音響関係で水かかって壊れたりしないか?とは実は考えてました(^^;)。
ってそんなこと言ってたらドラムセット破壊するシーンなんてどうしますって話になりますわな。
Xに一般常識はそのまま通じません。いや通じちゃなりません。それがXなんです(キッパリ)。

ドラムセットから降りて倒れ込むYOSHIKIさん。
そこへ「♪もう一人で歩けない」と、TOSHIさんの美しい歌声。
今のYOSHIKIさんもどう見たって「もう一人で歩けない」状態なんですが、
それでもYOSHIKIさんは、歌っているTOSHIさんのもとへ向かいゆっくりと歩き始めます。
やがて二人がきつく抱き合ったとき(このシーンについてはのちにいろいろ憶測が飛び交ったケド)
今までさんざんYOSHIKIー!と叫んで既に声もガラガラなのに私はまたさらに声を張り上げ、
YOSHIKIさんとTOSHIさんの名前を必死で叫び続けました。
そして「Forever Love」を泣きながら歌いました。

まさかこの日にここで聞くことになるとは思わなかった「WORLD ANTHEM」。
私自身初めてXのライブを見たのは'96年の東京ドーム2Daysが初めてで、
当然ながらTAIJIさん在籍時代のライブは見ていないので、
ライブ会場でこの曲が聞けたのは驚きとともに大きな感動がありました。
まだ終わりなんかじゃない、また何かが始まるんだ!と思いました。
この曲でもうれしくて泣きました。ええ、泣いてばっかです(苦笑)。

曲は「X」。この曲を聞かずしてXのライブに来た気分にはなれないです。
それまで何ぼ絶叫して喉が痛いだろうが、何ぼ腕振って筋肉痛寸前だろうが、
本能のままに叫び、本能のままに両手はクロスを組みます。
それが「X」なんですね。
そしておまけに何ぼヘドバンしまくって首痛くても頭振ってます(笑)。
HEATHコスのため(半ばそれだけ)に伸ばした長い髪振り乱すので危なっかしくて仕方ありません。
近くの方ごめんなさいです。
頭振ってる本人もてめーの毛先が顔に当たると結構痛かったです(^^;)。

間奏の部分ではおなじみのメンバー紹介。

「On Bass、HEATHー!
On Guitar、PAーTAー(絶対「パーター」ってドスきかせて言うんだよね←爆笑)
On Guitar、HIDEー!
On Drums、YOSHIKIー!
On Vocal、TOSHIー!」

…あうぅ、これも最後なのかあぁぁ(嗚咽)。
悔しいのでその後カラオケで「X」歌うたびに間奏部分では必ずワタクシこれやってます。
On BassにもちろんTAIJIも入れます♪(閑話休題、再び)

願わくばこれで終わって欲しかった気もします、バラード聞くと辛いからね。
だけどやっぱ「ENDLESS RAIN」は皆で歌いたいですね。辛いけどさ(涙)。
サビを皆で歌うところでは、各パートの演奏が一つずつ消えピアノだけになり、
やがて歌声だけで「Endless rain, fall on my heart 心の傷に…」と響いていきます。
終わらない雨のように、この時間ができるなら終わらないで欲しいと思っていました。

ここで演奏された「The Last Song」―当時私は解散が辛くて、
この曲の音源だけは買っていなかったのですが、
タイトルからして最後っつってるから聞きたくなかったんですよ。
でも…いい曲だ、悔しいけど。

そしてライブの終演が、Xの終幕でもありました。
それまでのライブの後の号泣は
「ありがとうX、楽しかったよ!最高だったよ!!また来るからねー!!」
という意味合いがあったけど、
この日の涙は「これが最後なんていやだ」という思いが強かったです。
後にも先にも一番泣いたライブです。


帰りは帰りで岡山で停車中に貴重品だけ持って少し買い物してたら電車が出てしまって、
慌てて駅員さんに事情話して荷物取り置いてもらい、
結局その日たどり着く予定だった駅までたどり着けず予定が大幅に狂い、
確か1日半くらい遅れて家路に着いた記憶が。
それもいい思い出です。
未だに人に話すと笑われるもんな。

ちなみにPHSを途中で充電するの忘れて電池切れしてしまい、
連絡つかなくなって後に親に怒られました(苦笑)。
それもいい思い出…ってか?
でもさすがはPHS、12月29日夜から1月2日の午前中…昼前かな?それまでは辛うじて電池もってました。
携帯だったらとっくにアウトでしたよ。